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●カート時代
1975年11月5日東京都生まれ。
レントゲン技師の父、看護婦の母というごく一般的な家庭で、3歳のときに父親の実家のある三重県津市に移住。鈴鹿サーキットのお膝元で育つ。
レースに興味を持つきっかけとなったのは、中学生の頃、初めて観戦に行った鈴鹿1000kmだった。
高校入学後、アルバイトをしながらカートレースを開始。高校卒業後はサンユー技研工業(株)に入社し、仕事をしながらカートレースを継続した。
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●ミドルフォーミュラ時代
95年にSRS-F(鈴鹿フォーミュラレーシングスクール)の第1期生として入校、フォーミュラカーの基礎を学ぶ。
卒業レースとして行われたふたつのレースのうち、ひとつに優勝するなど、徐々に才能を見せ始め、96年は名門チーム・スキルスピードからフォーミュラ・トヨタでレース・デビューを果たす。
40名以上のエントラントを集めた激戦の同シリーズで、2戦目でいきなり予選2番手、第6戦ではコースレコードでポールを獲り、そのままトップを一度も譲ることなく優勝するなど、センセーショナルなデビューイヤーを飾る。
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●F3時代
翌97年は、無限ホンダのワークス・エンジンが供給され、スキルスピードで全日本F3選手権に進出。3回のポールポジションを獲得、そのうち2回がコースレコードというずば抜けた「速さ」を見せ、最終戦の鈴鹿で初優勝を飾る。
98年、99年は、全日本F3選手権でタイトル争いを演じながらも苦戦。しかしマカオGPの出場権を2年連続で獲得し、99年はアジア圏ドライバーとして初の3位表彰台を獲得した。
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●SUPER GT/フォーミュラニッポン時代
マカオでの一戦をもってF3を卒業、さらに上を目指して、フォーミュラ・ニッポンチームと交渉を重ねたが、資金不足のためシート獲得は断念せざるを得なかった。しかし一方では中嶋悟監督率いるトップチーム、NAKAJIMA RACINGのオーディションに参加し、Mobil 1 NSXのシートを獲得。
初のGT500クラス参戦となる2000年の全日本GT選手権では唯一2勝を挙げ、さらに国際格式の伝統レース「ポッカ鈴鹿1000km」にもホンダ・ワークスの一員として出場、総合優勝を果たした。
2001年はチーム国光に移籍しGTを戦った他「十勝24時間」でクラス優勝、「ポッカ鈴鹿1000km」で2位表彰台などの成績をおさめる。
2002年、2年間にわたるフォーミュラカーのブランクがあったものの、GT等の活躍が認められ、大リーグシアトルマリナーズの守護神、佐々木主浩投手がオーナーを務める新チーム「Team22」でフォーミュラ・ニッポンに初参戦する。急遽決まった体制のもと3年落ちのマシンで苦戦するが、唯一全戦完走を果たす。
GTはホンダワークスチームの「無限」に移籍しチャンピオン争いを展開。
翌2003年はGTのみ参戦となったが、ワークスチームのエースとして活躍。
2004年からは元F1ドライバーの鈴木亜久里氏が率いるARTAに移籍し、2005年からはホンダのエースとして激しいタイトル争いを演じた。
そして2007年に悲願のチャンピオン獲得。
ホンダに2000年以来のタイトルをプレゼントした。
2008年にはトヨタに移籍。チャンピオンの移籍ということでシーズンオフの話題を攫ったが、DVD撮影中の事故によりシリーズ中盤から4戦を欠場。
しかし驚異の回復で最終戦で復帰し、3位表彰台を獲得して見せた。
又、ヨーロッパの伝統レース「ルマン24時間」にも出場し、初出場とは思えぬ走りを披露した。